全超寺について
全超寺の
縁起 歴史
大田原市上石上(かみいしがみ)地区は、
箒川を控え良質の米穀ができる地域で、
大田原藩(大田原氏)の穀倉地帯でした。
元禄三年(1690年)に大田原氏代十七代当主高清公は、
この上石上の地に禅寺を建立。
開山(初代住職)として当時光真寺九世(現矢板市長興寺十一世)住職の
材庵電染(ざいあんでんそん)大和尚をお迎えし、
全超寺と銘々いたしました。
そして、この地域の地鎮と信仰
そして教育の道場(大田原市立石上小学校の前身)、
地域コミュニティの場としたのです。
山号には、開基(寺院の創設者)の大田原高清公の
法名 千秋院殿久昌長榮大居士より
長榮の二字を戴き、長榮山全超寺と命名しました。
境内・本堂のご案内
山門(山号:長榮山)
山門を駐車場側から見ると、屋根の側面の右下に「銀杏の葉」の掘り込みが見つけられるでしょう。イチョウは燃えにくく、山門が火災で焼失しない様にとの建設を行った棟梁の願いです。
そして、もう一つ大きな動物がり込まれています。北の地方では「恵比寿」と呼ばれ、ニシンなどを岸に追い込む大漁・豊漁の神、豊かさを届けてくれる福神とされています。また、「苦しらず」と云われて「苦しみから遠ぎけてくれる」福の神です。山門にこの動物の掘り込みを見つけられたら招福(ラッキー)です。多幸あらんことを祈念いたします。
扁額の山号「長榮山」は25世光泰住職の染筆、山門は青森ヒバ材を使用。
本堂
本堂は、東南東(大田原城の建つ方角)に向けて建立し、平成17年6月に竣工、同年10月落慶法要を修行。扁額の寺号「全超寺」は24世俊雄住職の染筆、本堂は青森ヒバ材を使用。
本堂内部・ご本尊様
本堂内部の天井は、日光東照宮と同じ権現造り。
建物は全て釘を使わず仕上がっています。
曹洞宗の本尊は釈迦牟尼仏です。当山の御本尊は、お釈迦様が「降魔成道(仏陀伽耶の菩提樹下で静坐、瞑想し、 心に現われる諸々の魔類を降伏し、お悟りを開いた)」を現ぜられたときのお姿です。
両手を下腹部中央で重ねた「禅定印」をとり、「結跏趺坐」をされております。
釈迦さまに向かって右側の菩薩様は、文殊菩薩です。 百獣の王たる獅子に乗り、右手に剣、左手に経巻を持っています。
「三人寄れば文殊の知恵」といわれるように、仏の知恵を象徴する菩薩さまです。そして向かって左側には普賢菩薩です。 白象にのり、合掌しています。
文殊菩薩の智慧に対して、仏の慈悲を象徴する菩薩さまです。
稲荷堂(福徳稲荷)
「稲荷を背負い、自狐に跨り、手に宝珠を捧げた端麗なるお姿」
仏法を護持し、福を授けてくださる善神です。
功徳:諸災消除、福智増進、抜苦与楽
御真言:オンシラバッタニリウンソワカ
本尊 荼枳尼真天(だきにしんてん)は
福をもたらしてくれる神様
ダキニ天(荼枳尼天)は、古くから身分に関わらず多くの人の様々な願い事を聞き届けてくださっています。ダキニ天は福神になる前は人の肉を食う夜叉や羅刹の性質を持つ神で、夜に「尸林(しりん)」(墓場)に行って人肉を食べて生きる恐ろしい存在でした。そこで、大日如来の化身とされる「大黒天」が人肉を食べることを止めるように説得しますが、ダキニ天は「人肉(人の心にある生命力の源)を食べないと生きていけないので、墓場の死体を食べるのだ」と答えました。
大黒天は憐れみをかけて、人が死ぬ6カ月前を知る予知能力と「訶利訶(キリカク)」という真言と印を授けます。ダキニ天はこの力を受け、深く仏法に帰依して人肉を食うことを止め、仏法を守る天部の神様になって、人々の願いをかなえる福の神となったのです。
位牌堂
本堂の裏手には、位牌堂があり、正面に御開山・材庵電染大和尚、高祖常陽大師、太祖常済大師、先住24世までの歴代住職の位牌、両脇には檀徒各家の位牌を奉安しています。令和2年6月に竣工、同年9月落慶法要を修行。
客殿
平成23年7月竣工 同年9月落慶法要
北向き地蔵
『北を向いて安置され、陽に当たらない、火に当たらない』で、火除けの地蔵様です。古来より地域の安寧を願って奉られています。